
龍星座の紫龍
ドラゴンの青銅聖闘士。14歳。
城戸光政の100人の子の一人で、修行の地である中国五老峰で天秤座の童虎の指導を受ける。
最強の楯と背中の龍紋
まず紫龍と言えば真っ先に思い浮かぶのがドラゴンの楯である。
青銅聖衣の一部位ながら88の星座の中で最強の硬度を誇るこの盾は、幾多の戦いでその防御力の高さが描かれている。
格上の敵キャラも「うわさに聞くドラゴンの楯」と口にするシーンもあり、聖闘士の間での知名度は高い様だ。
ちなみに作中初期では、楯と同等の硬度を持つドラゴンの右拳と併せて「最強の拳と楯」という触れ込みだったが、いつしかフォーカスされるのは楯のみとなり最強の右拳の設定は出てこなくなった。
そして紫龍一番のトレードマークは、小宇宙を最大に燃やした時に浮かぶ背中の昇龍の紋だ。
漫画的にはバトルシーンの盛り上がり所でこの龍紋を差し挟む必要があるため、紫龍は聖衣を脱ぎ捨て生身で戦う事も多い。
ちなみに背中に紋が浮かぶのは聖闘士の中でも限られたものだけで、天秤座の聖衣を継承する証でもある。
大恩ある老師
紫龍の修行地は中国の五老峰である。
そこで師である天秤座の童虎から6年間修業を受けた。
紫龍の性格は実直にして勤勉。童虎に言わせれば「人間が堅い」とのこと。
そもそも星矢や紫龍たち100人の孤児たちは「聖闘士になる」という使命を与えられ、半ば強制的に修行の地に送られた。
本人の意思で聖闘士を目指した孤児がどれだけいたかは不明だが、少なくとも紫龍は当時10歳にも満たない幼年でありながらも「強くなるため」という向上心をしっかり持っていた。
前聖戦の生き残りにして200年以上を生きた師の教えの賜物か、弱冠14歳にして様々な故事にも精通している。
作中でもしばしば「以前老師にお聞きしたことがある」という文言を添えて説明役に回ることも多い。
一般の少年のように普通に学校に通っていたら文武両道の優等生になっていただろう。
童虎の教えは聖闘士の戦闘技術のみならず、それまで孤児として育った紫龍に生きることの意義を見出させた。
紫龍は「老師の教えは厳しいが温かさがある」と述べ、五老峰ではじめて人間的な温かさを知った。
孤児として生きてきた紫龍にとっては心から嬉しい事だったに違いない。
紫龍が童虎を「大恩ある老師」と呼ぶのも納得である。
この紫龍、死はもとより覚悟の上
そんな紫龍の戦闘スタイルは「肉を切らせて骨を断つ」「背水の陣」「死中に活を求める」といったところだろうか。
自分の身はおろか命をも投げうって勝利をもぎ取るシーンが多いのだ。
紫龍最大のトレードマークは背中に浮かぶ昇龍であるため、それを披露するためにも裸身にならねばならないという漫画的都合もあるが、何よりも武士道精神にも似た紫龍の意気がそうさせるのだろう。
紫龍の戦いを振り返ってみれば、そのほとんどが自己犠牲精神に基づく勝利が多い。
アルゴル戦では勝利のために自らの両目をつぶし、シュラ戦では昇龍覇の弱点である「龍の右こぶし」をあえて晒して、心臓が傷つくのも厭わずシュラの聖剣を折り、さらには禁じ手の亢龍覇まで放っている。
嘆きの壁でもシルフィード、ゴードン、クィーンの3人の冥闘士をたった一人で足止めし、死を覚悟の戦いを挑んだ。
処女宮でムウ達とサガ達のアテナエクスクラメーションが激突した際にも、自身が消滅する危険も顧みずに身を挺してムウ達に加勢して決死の昇龍覇を見舞っている。
アテナのため、友のため、そして義のために戦う男、それが紫龍である。
自己犠牲の代名詞とも言えるアンドロメダもびっくりの心意気だ。
「この紫龍、死はもとより覚悟の上」はもはや定番のセリフである。
攻防両面に秀でたキャラ
技の性質もそれに近いものがある。
廬山の大瀑布を逆流させる最大奥義の廬山昇龍覇は体力が低下している状態で撃てば自身の体もダメージを受け、禁じ手の亢龍覇に至っては相手を滅ぼすかわりに自身も滅するという諸刃の剣である。
他に廬山龍飛翔という突進技と思しき奥義もあるが、これは作中では数えるくらいしか披露されていない。
特筆すべきは童虎の廬山百龍覇、シュラの聖剣という黄金聖闘士の技をふたつも体得している点である。
前者は嘆きの壁の戦いで、後者は海闘士のクリシュナとの戦いでフィニッシュブローとして放たれ、見事紫龍に勝利をもたらしている。
前述のドラゴンの楯と併せて紫龍は攻防両面に秀でたキャラと言える
それに加えて博識でもあり、もしかしたら青銅5人の中で最も仁智勇に優れているかもしれない。
俺は戦士!
俺が死ぬべき場所は戦場だ!
続編の「ND冥王神話」では戦いから身を引き、田畑を耕しながら最愛の女性春麗、山中で拾った孤児の翔龍と幸せな暮らしを送っている。
どうやら同じ屋根の下で生活している模様で、もはや家庭を持ったも同然である。
冥王の剣により余命幾ばくも無い星矢を救おうと、五老峰まで来訪して共に戦う事を勧めた氷河の説得も一度は退けた。
結局は友情を取り、氷河とともに前聖戦の時代へ赴くのだが、友と家庭という二つに一つの選択肢を迫られる紫龍の胸中も複雑この上なかっただろう。
もしあのまま過去の時代に赴くことも無かったら、「紫龍邯鄲の夢」で描かれたように戦いとは無縁な静かな人生を送っただろう。
争いも憂いも無く、臨終の際には妻や子、孫たちに囲まれて穏やかに一生を終えたはずだ。
紫龍は白銀編を終えた辺りでも聖闘士から身を引くつもりであった。
結局は再び聖衣をまとって戦う決意をするのだが、その気になれば平穏な生活を送ることは出来たはずである。
だがやはり紫龍の本質は戦士だ。
自身も「死ぬ場所は戦場だ」と述べている通り、義に生きる男は戦いに身を投じる宿命にあるのかもしれない。
天秤座を継ぐ者
前聖戦の時代で若き頃の童虎と互角の勝負を演じ、次代の天秤座の継承者として認められた。
聖闘士の中でも善悪の判断を司る大任だが、紫龍にとっては過去の時代とはいえ亡き師と対面できたことが何よりも嬉しかっただろう。
さらには忍辱(にんにく)を遂げたあかしである龍神の宝珠も得て、義に厚い堅忍不抜の男として蠍座のエカルラートに認められた。
平穏な人生よりも戦士としての道を選んだからこそだが、言い換えれば紫龍の一生は戦いに紐づけられたようなものだ。
「男が倒れる時は常に前のめり」と口にした通り、紫龍は戦い続けるのだろう。
そしてその理念の根本には、友、アテナ、最愛の人といった守るべき存在のために命を賭して戦う紫龍の義の精神があるからこそなのだ。