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​蟹座のデスマスク

蟹座の黄金聖闘士。

12宮4番目の巨蟹宮を守護する。

​相手を冥界の入口へ送る積尸気の使い手。

​正義のためなら女子供でも容赦なく犠牲にする非情な聖闘士

心無い読者から黄金聖闘士最弱というレッテルを貼られることもあるデスマスクだが、実はこの男は底知れぬ魅力に溢れたキャラである。

 

ひとつは積尸気という即死特化技を持つこと、そして今一つは教皇(サガ)の行いを知りつつ聖域に忠誠を誓っていることである。

聖闘士の最高位である黄金聖闘士でありながら悪の哲学に彩られた異彩のキャラである。

 

正確にはデスマスクも悪ではなくアテナの聖闘士としてのイデオロギーが他のキャラと大きく隔たっているだけのことだが、沙織を真の女神と知る星矢たちから見れば体制側の倒すべき敵と言う形になる。

 

正義のためならば女子供でも容赦なく犠牲にする非情さを持つが、これもデスマスクの個性をより際立たせている。

時には大のために小を切り捨てなばならない局面もあるので、この考え方は決して間違いではない。

 

ただデスマスクはそれらの罪なき犠牲者を自身の強さを飾り立てるためのコレクション(巨蟹宮の無数の死人の顔)と見なしている。

これがデスマスクという彼の名の由来らしい。

 


 

ともかく上記の理由によって、デスマスクは正義の遂行のためなら誰が死のうと気にも留めない非情の戦士とい個性を深め、さらには自身の必殺技である積尸気のイメージ付けにも繋がるのである。

 

デスマスク=非情=死=積尸気という図式がものの見事に成り立っている。

最強の黄金聖闘士にこのような外道キャラを当てはめる事によってデスマスクの個性は一段と強調されるのだ。

​初登場は五老峰での紫龍戦
​黄金聖闘士の格上感を見せつける

デスマスク初登場シーンは中国五老峰である。

13年間聖域に忠誠の意を示さなかった天秤座の童虎を討つための刺客として遣わされたのだ。

 

ここでのデスマスクのストーリー上の役割は、紫龍を再び戦いの場へ引きずり出すことである。

暗黒聖闘士、白銀聖闘士の登場によって戦いに身を投じることになった紫龍だが、アルゴル戦をもってそれも終わった。

 

紫龍自身は沙織のために戦う理由は特にない。

というより、守るべきアテナが城戸沙織であることに対して気持ちの整理がついていない。

紫龍にすれば銀河戦争後のゴタゴタに関わっているうちに自身の出生を含めた事の真相が徐々に分かってきた形だが、それゆえにこそ沙織のために戦う気になれないのだろう。

 

その紫龍を聖域12宮編へ参加させるための役割をデスマスクは担ったのだ。

大恩ある老師の危機を演出することで紫龍を参戦させ、さらには後の巨蟹宮戦に繋がる因縁をも作れるので一石二鳥である。

 

聖衣非装着とはいえ紫龍の蹴りを指一本で受け止め、逆にはじき返して滝壺へ落すという格上感を見せつけるデスマスク。

この後に童虎との善悪問答のシーンを1ページほど挟むが、これもデスマスクというキャラの信念を読者に植え付けるには十分である。

 

極めつけは積尸気という謎めいた奥義の片鱗をチラ見せしたことだ。

蟹座の散開星団プレセペは積尸気と呼ばれ、死者の霊魂がのぼる穴である。

自身の守護星座と関連のある奥義はそれだけで強烈な個性づけになるためインパクトも大きい。

さらに、前聖戦の生き残りである童虎に積尸気の恐ろしさを口走らせることで、デスマスクの異様な不気味さがさらに引き立つのである。

 

ただ惜しむらくは。この場に割って入った牡羊座のムウの登場によって見せ場を奪われてしまった感があるのと、紫龍の昇龍覇をまともに食らってしまった点だ。

紫龍はアルゴル戦で視力を失ったため、五感のひとつ視覚が不自由になったことでかえって小宇宙が増大していた。

だが作中の少し前までは白銀相手に一進一退の戦闘を繰り広げていた紫龍が、この場面では黄金のデスマスクを押しのけるほどの戦闘力を見せたのは少々オーバー描写な気がしないでもない。

むろんこの時点の紫龍はセブンセンシズの概念など知らないので尚更である。

 

とはいえ多少の不満点はあるものの、デスマスクの作中デビューは黄金聖闘士の強大さを印象付けるには充分であった。

​巨蟹宮で紫龍と再戦
​ここでも黄金聖闘士の強さを見せつける

そして聖域12宮編。

巨蟹宮においてデスマスクは紫龍と再び相まみえる事になる。

 

いきなり積尸気冥界波を放って紫龍の魂を死界の入り口まで飛ばしたのだ。

アテナの加護で紫龍の魂は肉体に戻ったが、本来ならばこの時点でデスマスクの一撃KO勝ちである。

(しかも全力で技を放っていない)

 

五老峰で一度は食らった廬山昇龍覇も片手であっさりはね返す強靭さも見せつける。

そして再び積尸気冥界波を放ってまたも紫龍を死界の入り口に飛ばした。

最初の時よりも高威力で放ったため、紫龍は体に力がほとんど入らないほどに疲弊している。

 

魂が冥界の入り口に飛ばされているので死んだも同然だが、正確にはまだ死んではいない。

デスマスク曰く、そこは生と死の国を分ける場でありその先にある黄泉比良坂に落ちてはじめて死ぬのである。

 


 

即死技は食らった時点で勝負ありなので、拳で殴り合う漫画では扱いが難しいのかもしれない。

シュラの聖剣もそうだが、当たれば主役キャラが死んでしまうのでまともにヒットさせられないという漫画的都合が優先され、回避や不発が多くなってしまうのだろう。

 

しかしここから紫龍怒涛の反撃が始まる。

五老峰で紫龍の無事を祈る春麗の思いがデスマスクの気を散らせたため、デスマスクの遠隔テレポーテーション攻撃で春麗は滝壺に落とされてしまう。

 

愛する女性の死(実際は童虎に助けられて無事だったが)によって紫龍は龍神逆鱗モードと化し、黄金聖闘士をも凌ぐ小宇宙でデスマスクに怒りの拳を次々と叩き込む。

死にぞこないの相手がいきなり超絶パワーアップしたのだからデスマスクにすれば驚いたどころの話ではないだろう。

 

だがここでもデスマスクは黄金聖闘士の底力を見せる。

怒りと共に放たれた紫龍の昇龍覇をまたしても止めたのだ。

まさに「聖闘士に同じ技は通じない」をその実力を持って証明した形となる。

蟹座の聖衣に見放され…

しかし不運なことに蟹座の聖衣が自らの意思でデスマスクから離脱したことで、戦況は一転してしまう。

紫龍曰く「黄金聖衣が悪の心を持つものを聖闘士として認めない」らしいが、デスマスクのどこに悪の心があったのかはよく分からない。

下手をしたら冤罪の可能性も無くはない・・・かもしれない。

 

海皇編序盤で老師が語っているように、聖域編で落命した黄金聖闘士はみな正義を愛するアテナの聖闘士である。

もちろん力こそ正義派のアフロディーテやデスマスクも含まれる。

 

先にも述べたが戦いに犠牲は付き物であり、それを非常に切り捨てることの出来るデスマスクはある意味では精神的に強靭とも言える。

教皇の行いを知りつつ忠誠を誓っていたのも、地上の平和を守るための最適な方法をチョイスしたに過ぎない。

居もしないアテナなどより実力者の教皇の方に従ったまでの事だ。

 

巨蟹宮の無数の人面についても、先代蟹座のデストールが守護する過去の時代の巨蟹宮でも浮き出ていたので、デスマスクの専売特許というわけではなさそうだ。

 

ただ、NDの巨蟹宮の人面は単に成仏できない亡者というだけだが、現代の方はデスマスクの手によって殺された人たちである。

いかに正義のための犠牲者とは言え度が過ぎたのかもしれない。

 

さらには冥界波で飛ばされた紫龍に沙織が語り掛けるシーンがあるが、そこで沙織はハッキリと「デスマスクを倒しなさい」と言い切っているのだ。

これまでデスマスクの行ってきたことがアテナの容認範疇から逸脱してしまったのだろうか。

アテナがそう言う以上、蟹座の聖衣が逆らえるはずもない。


 

ともかく、聖衣に見放されたデスマスクは紫龍の攻撃で足の骨を折られ、激痛でのたうち回るという醜態をさらしてしまう。

デスマスクというキャラの株が一気に暴落するのはここからだろうか。

 

つい先ほどまで「たかが青銅」と見下していた相手に、半裸でうろたえるデスマスクの姿は憐れみを誘う。

読者の間ではこういうシーンのみが抜粋され、デスマスクは黄金最弱という風評被害を生んだのかもしれない。

 

そして同じく聖衣を脱ぎ捨てた紫龍との小宇宙勝負にも負け、デスマスクは黄泉比良坂へと落ちていったのだ。

本来ならば、対等の小宇宙勝負で青銅聖闘士の紫龍が強敵デスマスクを撃破したという構図になるのだが、前述の聖衣離脱の件があるせいか、デスマスクの情けなさもクローズアップされる結果となってしまった。

 

ただ、五老峰登場シーンから巨蟹宮のバトルまでを通した全体評では、デスマスクは決して弱キャラとは呼べない。

その評価が地に貶められるのはむしろ冥王ハーデス編に於いてである。

​冥闘士として復活した冥王編

​しかし、ぶっ飛ばされるシーンばかりで…

冥王ハーデス編の序盤、デスマスクは冥闘士として復活を果たす。

謎のフードの男(シオン)、魚座のアフロディーテと共にハーデスに寝返った元聖闘士という立ち位置で白羊宮のムウの前に現れた。

もっともこれは冥王軍の監視の目を欺くための芝居であり内実はアテナの聖闘士なのだが、血の涙を流したサガ達に比べてデスマスク(とアフロディーテ)は内心の苦悩を覗かせる描写が皆無であるため、本当にハーデス軍に寝返ったと受け止める読者も多かったようだ。

好意的に解釈すれば芝居が上手かったとも言える。

しかしながら冥王編のデスマスクはとにかくやられてばかりである。

聖域編の紫龍戦で見せたような強さを彷彿とさせるシーンがほとんど無いのだ。

 

必殺の積尸気冥界波はムウのクリスタルウォールにはね返され、「危うくあの世へ逆戻りするところだった」とのセリフを吐いている。

なお続編のNDでは「冥衣はこの世と冥界を自由に行き来出来るものであるため冥界波の効果が及ばない」という設定が後付けされた。

ゆえに、冥衣を装備しているデスマスクにも冥界波は効かない事になるが、本人はその事を知らなかったのだろうか。

(ちなみに先代蟹座のデストールはその事を知っている)

 

デスマスクは12宮突破という使命を持ちながらも眼前のムウに手こずる始末である。

しかもアフロディーテと二人がかりであるにもかかわらず白羊宮の攻略すらままらない。

 

ムウも師には逆らえないため、シオンの威を借る形で無抵抗のムウを一方的に殴りまくっているシーンがデスマスクの活躍描写(?)だが、それも星矢の乱入によって逆にぶっ飛ばされてしまう。

その上、怒り爆発モードの星矢にボコボコにされ、しまいにはローリングクラッシュをモロに食らってしまう有様である。

 

冥王編のデスマスクは全体的に見て無抵抗の相手をボコるか、自身が吹っ飛ばされるかのどちらかだ。

それに加えてのりP語を口にするコミカルさも見せているが、このせいでデスマスクがお茶ら気キャラになり下がった感さえある。

(ちなみにのりP語は童虎も口にしているが、こちらは所々でユーモラスな描写を見せてきたせいか特に違和感は無い。)

 

そして極めつけは、ムウ1人を相手にアフロディーテ共々敗北してしまった点だ。

基本的に黄金同士の戦いは千日戦争である。

2対1という数的有利な状況にありながらも二人まとめてスターライトエクスティンクションを食らいハーデス城に飛ばされてしまった。

 

さらにそこでラダマンティス相手にボコられる始末である。

命令失敗を咎められたデスマスクは必死に許しを請うが、その様は命乞いするチンピラにも似た無様なものだ。

そして背を向けて逃亡を図るも叶わず、アフロディーテと共に死界の穴に落とされてしまうのだった。

​情けないシーンが多かったデスマスクをフォローしてみる

冥王編ではとにかく情けないシーンが多いデスマスクだが、何とかフォローを試みるなら以下の通りになる。

血の涙を流さないのは演技上手であり、非情なデスマスクだからこそ成しえたのかもしれない。

また、相手を光の中に消し去るスターライトエクスティンクションを食らっても地上のハーデス城に飛ばされただけで死んではいないので、これも黄金聖闘士の耐久力ゆえなのかもしれない。

(なおムウは本気で技を放っている)

 

優雅なムウをマジギレさせたのもデスマスクの悪党ぶりが光ったからこそだろうか。

だが聖域にやってきたギガントら冥闘士たちは基本的に元聖闘士たちを信用していないので、結局デスマスクはやられ損という事になる。

 


 

そんなデスマスクも嘆きの壁では他の黄金の面々と共に兄貴面を見せている。

魂だけの身とはいえ一度は見放された蟹座の聖衣を再び装着出来たのは本人にとって喜ばしい事だろう。

 

正義という名のもとの非情で外道な悪党キャラだったデスマスクだが、彼もまた紛れもなくアテナの聖闘士そのものだった。

因縁の深い紫龍との再会こそ無かったが、地上の平和を託すに足る次代の聖闘士と認めているだろう。

 


 

しかし残念なことに・・・。

地上の愛と正義のために嘆きの壁で散った黄金聖闘士たちであるが、その思いを知っているはずの瞬がNDで「この時代の蟹座も死者の魂を弄ぶ悪しき聖闘士なのか」と口にしているのだ。

瞬にとってデスマスクは恐るべき悪しき聖闘士という認識の様だ。


 

味方にさえそのように思われるのも、ある意味デスマスクの魅力かもしれない。

ヒールは嫌われてナンボだが、デスマスクにはその方が似合っている。

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