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獅子座のアイオリア

獅子座の黄金聖闘士。

聖域12宮5番目の獅子宮を守護する

光速の拳と言えばやはりこの男

聖闘士星矢という作品において真に人気のあるキャラは星矢たち主役青銅組ではなく黄金聖闘士であろう。

一般人にも馴染みの深い12星座を守護星に持ち、黄金に輝く聖衣を身に纏い、光速の拳を放つ聖闘士の最高位という魅力満載の設定に彩られているからだ。

 

そして黄金聖闘士といえばすぐさまアイオリアを思い浮かべる読者も多いだろう。

作中描写によって黄金聖闘士=光速=アイオリアという図式が出来上がっているからだ。

 

光速の動きは黄金聖闘士全員が体得しているのだが、その点が最もクローズアップされるのはやはりアイオリアだ。

 

必殺技のライトニングプラズマは無数の閃光が交差する派手でインパクトの強いエフェクトが描かれるため、強力な光速拳の使い手というイメージがアイオリアに付随されるのだろう。


 

荒々しい獅子のオーラを背景に1秒間1億発という桁外れの数の拳を放つアイオリアは、「己の肉体を武器に戦う聖闘士」「光速の動きを持つ黄金聖闘士」という設定をそのまま体現したかのようなキャラである。

初回から登場しているが、どんなキャラなのかは今一つわからず

そんなアイオリアだが、作中の登場時期は初回からと極めて早い。

ペガサスの聖闘士決定戦とでも言うべき星矢とカシオスの戦いを観戦している。

 

もっともこの時点ではアイオリアが黄金聖闘士という設定はまだ無い。

もちろん聖衣も纏っておらず、肩当や胸当てを装備した雑兵と大差ない出で立ちである。

 

というよりアイオリアがどんなキャラなのか詳しい説明が無いので、大半の読者は「魔鈴&星矢サイドのキャラだろう」という大雑把なイメージしか持ち様もなかっただろう。


 

なお後に星矢がアイオリアのことを「聖域の良き先輩」と語っているので、候補生時代の星矢の面倒を多少は見ていたのだろう。

 

聖闘士の総本山である聖域では日本人の魔鈴と星矢に対する風当たりも厳しいものがあったが、アイオリアはそんなつまらぬ偏見は持っていない。

人格面においても頼れる兄貴的存在だったと思われる。

 

だが星矢カシオス戦だけではアイオリアに関する情報が乏しいため、何のために登場したのかよく分からないキャラでもある。

 

そしてそのまま作中からしばしフェードアウトした。

獅子座の黄金聖闘士として再登場

ストーリーが白銀編の終わりに差し掛かり、黄金聖闘士編に移行しつつある最中、アイオリアは久方ぶりの再登場を果たす。

アイオリアというキャラの設定が色濃くなったのはこの辺りからだ。

 

私闘を演じた星矢たち青銅聖闘士の抹殺の命を教皇の間で受けるアイオリアだが、ここで彼が獅子座の黄金聖闘士であることが判明する。

 

傍らには同じ黄金聖闘士のミロが聖衣を纏って跪いているが、アイオリアの出で立ちは初回登場時と同じ軽装姿なのはご愛敬。

 

つまり、アイオリアは黄金聖闘士という設定を付与されたおかげで、この先のストーリーに大きく関わるキャラとして昇格したのだ。

 

ジャミールのムウ、五老峰の老師もそうだが、12人の黄金聖闘士というキャラを拵えるにはそれまでストーリーに関連のあったキャラを運用する方が深みが増すという作者の意図によるものらしい。

逆賊アイオロスの弟として…

さらにアイオリアには、射手座のアイオロスの弟というもう一つの重要な設定も付け加えられた。

 

アイオロスは城戸光政と並んで物語の起点を司るキャラである。

逆賊の汚名を着せられながらも正義を貫き、そして次代の若き少年たちにアテナを託したカリスマだ。

 

その様な偉大な兄を持つがゆえに、弟のアイオリアのキャラ設定もそれに相応しいものに仕立て上げる必要があったのだろう。

 

さらには「兄が逆賊」という負い目を持たせることで、体制側に身を置く実力者でありながらも不遇な側面を強調出来る。

 

後にその疑いが晴れて兄アイオロスが真の勇士であった事が語られるが、それはアイオリアというキャラの魅力にさらなる箔をつける結果となる。

兄は逆賊なのではなく正義のために戦った男だと知った時、長年アイオリアの心の内にあったであろう憑き物が落ちたはずだ。


 

兄が誠実な男であることは弟の彼自身が一番分かっているはずだが、反逆者という事実がある以上はそれを受け入れる他無い。

アイオリア自身がいかに優れた男でも「逆賊の弟」というレッテルは付きまとうだろうし、彼自身も肩身の狭い思いはしてきたはずだ。


 

だが沙織の口から13年前の真実が語られた事によって、アイオリアの心は救われたのだ。

 

兄が逆賊ではなかったことに加え、諸悪の根源が聖域を統べる教皇であった事、そして城戸沙織こそが現代のアテナの化身である事など、アイオリアにとっては衝撃の事実の連続だが、それでもやはり兄の無実は嬉しかったはずだ。

 

作中で凛とした表情の多いアイオリアだが、射手座の聖衣を纏った星矢との戦いの後には笑顔と涙を同時に見せている。

星矢との戦いの中でアイオロスの思いを感じ取ったが故の男泣きである。

 

アイオリアにとっては兄の名誉を回復できただけでなく、自身もこの先アテナの聖闘士として胸を張って戦えるという事を意味するのだ。



 

本来ならばこの時点でアイオリアは教皇側から沙織サイドに転じた事になる。

星矢たちにすれば頼もしい味方の誕生だが、やはり桁外れの強さを誇る黄金聖闘士が味方にいると、漫画的にはその後の展開に支障をきたすのだろう。


 

事実アイオリアはこの後単騎で教皇の間に乗り込み、そこで教皇派のシャカとの千日戦争を繰り広げる。

その際に教皇(サガ)の放った幻朧魔皇拳によって強制的に聖域側に引き戻されてしまう。

 

つまり、12宮を進む星矢らの前に立ちふさがる敵という役割を与えられたのだ。

 

主役はあくまで星矢らなので、事の真実を知りなおかつ強大な強さを持つアイオリアを何らかの形で封殺せねばならず、その結果が幻朧魔皇拳による精神支配というわけだ。

​牙むく黄金の獅子

アイオリアの強さに関しては説明の必要もないだろう。

 

黄金聖闘士は88の星座の中でも最強を誇る黄道12星座を指す。

その内の1人となったアイオリアは当然ながらそれに見合った戦闘力も持ち合わせる事になる。

先に述べた光速が正にそれだ。

 

それまで音速の域で戦闘を繰り広げてきた星矢の前に、アイオリアは光速という桁違いの強さを持って現れる。

今でこそ「黄金聖闘士は光速」という認識は広く知れ渡っているが、それを作中で最初に言及したのは他ならぬアイオリアである。

 

またこれによって、この先星矢たちが拳を交えるであろう黄金聖闘士のインパクトが否応なしに深みを増すことにもなる。


 

1秒間に1億発のライトニングプラズマと強力な一撃のライトニングボルトの二つの技を持つが、どちらかと言えばプラズマを放つシーンの方が多い。

漫画的見栄えの面ではプラズマの方が派手でカッコいいからだろうか。

 

獅子宮に侵攻した冥闘士たちがアイオリアを「この男、桁外れだ」と形容するシーンがあるが、まさにその通りだ。

戦闘時の猛気・攻撃性はおそらく黄金聖闘士の中でも最強クラスだろう。

 

まさに牙をむいた黄金の獅子そのものである。

​黄金対黄金!

乙女座のシャカとの千日戦争

そのアイオリアの強さをさらに印象付けたのが同じ黄金聖闘士とのシャカとの千日戦争だ。

最強の黄金聖闘士どうしが戦ったらどうなるのかという疑問の答えがここにある。

 

肉弾戦を得意とするアイオリアと小宇宙による特殊攻撃や精神技を得意とするシャカであるが、両者の戦闘スタイルはまるで違うにもかかわらず総合力は互角である。

 

武闘派の童虎と超能力戦士のシオンの場合もそうだが、千日戦争とはそういうものなのだろう。

強大なパワーも特殊能力で無効化できるだろうし、逆に下手な小細工など拳一発で粉砕できるという事だ。

 

さすがに物理攻撃で幻覚や闇を振り払える漫画だけのことはある。


 

ともかく、黄金聖闘士の中でも神に近い男と呼ばれるシャカと渡り合える事でアイオリアの強さは引き立ち、さらにはシャカの強さにも箔がつくのだ。

 

事実、シャカは処女宮での一輝戦よりもアイオリアとの千日戦争の方がよほど苦戦している。

言いかえれば、それだけアイオリアの強さが並々ならぬものである証だ。

随所に溢れる男らしさ

​アイオリアは車田美学の体現者か?

さらにアイオリアの魅力を高める要素として「男らしさ」「男臭さ」がある。

それらは車田漫画を語るうえでは欠かせない要素であり、むろん「聖闘士星矢」に登場するキャラたちも自分なりの男らしさを垣間見せるシーンは多い。

 

言わば車田漫画の美学そのものだが、アイオリアもまたその体現者である。


 

日本での星矢戦では不可抗力とは言えシャイナを拳で撃ち抜いてしまったアイオリアだが、それに怒った星矢の拳をキッチリ顔面で受け止める度量を見せる。

 

作者の作風として「漢は女を殴らない」というポリシーがあるが、アイオリア自身もいかに戦いとは言え女を傷つけるつもりは毛頭なかったはずだ。

自分自身の落ち度に対するケジメでもある。

 

そして星矢をかばってアイオリアの拳を食らったシャイナと、それに涙する星矢の気持ちを汲んだ形でもある。

 

男の気持ちは男が一番良く分かると言うが、アイオリアの本質はまさに「男」そのものだ。

「 もはや男として認めん!」は作中屈指の名セリフ

聖闘士の使命と男の信条を胸に掲げるアイオリアだが、彼にとってそれを最も形に出来るのが「行動」なのだろう。

 

冥王編処女宮の戦いにおいて、仲間のシャカを殺した(実際には死んでいないが)サガ、シュラ、カミュに怒りの拳をブチ込むアイオリアだが、それを止めたムウに対して言い放った一言はまさに名文句である。

 

「目の前で同胞が殺されているのを見て何の行動もおこせない様な奴は、もはや男として認めん!」 

 

この一言にアイオリアという男の魅力が凝縮されている。

仁義を旨とし行動をもってそれを証明するアイオリアらしい言葉だ。


 

作中ではアイオリアは度々ムウと意見を異にしている。

 

教皇の正体が双子座のサガだと判明した時も、海皇編で海底神殿に乗り込もうと意気込む時も、そして上記のサガ達との戦いのときも、アイオリアを制止するのは決まってムウである。

 

冷静沈着なムウと男気あふれるアイオリアとの対局の構図は作中でももはやお馴染みではあるが、大局的見地から見ればムウの判断の方が正しくはある。

 

だが心情面で共感を得られるのはやはりアイオリアの方だろう。

直実であり自身も勇猛な戦士であるがゆえの気概と言える。


 

実際は、強キャラのアイオリアを動かすと星矢たちの活躍の場を奪ってしまうため、「アテナへの試練」とか「老師の命令」といった理由をつけてその場にとどめる必要があるのだろう。

そのためには思慮深いムウが適任なのだ。

 

もちろん両者とも同じアテナの聖闘士なので、細かな面での相違はあれど特に不仲という事は無い。




 

少々堅物じみた側面はあるが、平素は誠実にして戦時は猛々しい、それがアイオリアという男だ
 

そんなアイオリアにはやはり戦いの場が一番似合う。

 

惜しむらくは冥王編での単独の見せ場がライミ戦以外特になかった事だ。

 

欲を言えば結界のハンデなど無しに三巨頭のひとりと戦い、そして華々しく討ち死にしてほしかった。

 

連載中に打ち切りが決まったために冥界編の後半は駆け足描写になってしまったが、出来る事なら暗き冥界に光速の閃光を勇ましく放ってほしかった。

 

魅力的なキャラであるだけにその点だけが非常に勿体なく感じる。



 

だがやはり作中全体を通してみればアイオリアはかなり優遇されている事が分かる。

 

黄金の代名詞の光速拳、カリスマであるアイオロスの弟、シャカとの千日戦争、そして男気など、作中で彼が関わったシーンはいずれもインパクトが強い。

 

アイオリアは作者の理念や心情の体現者であり代弁者でもあるのかもしれない。

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