
カシオス
蛇遣い星座のシャイナの弟子。
ペガサスの聖衣をかけて星矢と戦った。
その残忍さは聖闘士に相応しいのか?
聖闘士の総本山であるギリシャの聖域で、カシオスは師のシャイナから聖闘士になるための指導を受けていた。
巨漢のパワーファイターで、その性格は残忍。
同じく聖闘士を目指していたであろう9人の対戦相手の首を一撃で刎ね飛ばしている。
知っての通り、アテナの聖闘士は地上の愛と正義を守るために戦う希望の闘士である。
しかし、カシオスの戦闘スタイルはそれとはほど遠い。
修行で身に着けた破壊力を楽しんでいる節があり、自分より弱い相手の耳や鼻を削ぎ落としてじわじわといたぶるのも好みのようだ。
師のシャイナは女聖闘士でありながら男勝りな性格であるため、弟子のカシオスが攻撃的なスタイルになるのはまだ分かる。
しかし、上記の残忍さは度が過ぎているとしか思えない。
むしろカシオス本人の気質なのだろう。
「ふしゅらしゅらしゅら」という不気味な笑い方もそれを物語っている感がある。
なので、仮に首尾よく聖闘士になれたとしても、聖衣に見放される可能性が高いだろう。
聖闘士を目指していながら小宇宙の概念を知らなかった?
そのカシオスはペガサスの聖衣をかけて星矢と対戦するのだが、結果は敗北に終わる。
しかも、手も足も出ないままの完敗だ。
星矢は6年間一度もカシオスに勝てなかったので、カシオスとしては間違いなく勝てると楽観視していたのだろう。
その敗因は、小宇宙の概念を知らなかったことである。
小宇宙は聖闘士の闘法の基礎であるが、カシオスはこの星矢との戦いで初めてそれを耳にしたかのようなリアクションを見せた。
幼いころからシャイナのもとで指導を受けていたカシオスだが、その間に一度も小宇宙の事を教わらなかったのだろうか?
当然ながらシャイナは小宇宙の事を知っているし、作中描写からもそれは明らかである。
それゆえに、なぜカシオスが小宇宙に馴染みが無かったのか疑問が生じるのだ。
ハナから小宇宙に関する指導は施されなかったのか、もしくはパワーに自信があるだけに教えは受けてもそれを軽視したのか…。
聖闘士の強さは身に着けている聖衣と小宇宙の燃焼度で決まるのだが、カシオスは聖闘士の表面的破壊力を身につけたにすぎない。
つまりカシオスは表面上のパワーはあってもそれを昇華させる技術が無いのだ。
精神と力の一致が聖闘士の超人的なパワーの源であると作中で魔鈴が述べているが、小宇宙を満足に燃やせないカシオスではその域に達することは出来ない。
それとは対照的に、星矢の小宇宙の高まりは師の魔鈴やアイオリアも驚くほどであった。
両者の間にこれ程の差がある以上、カシオスの敗北はむしろ当然といった所か。
星矢の耳を削ぎ落とすつもりが逆に自分の耳を削ぎ落とされ、自慢のパワーも星矢にあっさりと片手で防がれ、そして作中初披露となる星矢のペガサス流星拳を食らいカシオスは敗れた。
我が女神のために
カシオスは師のシャイナに対して恋心にも似た想いを抱いている。
シャイナから教えを受けたことを幸福だと述べており、そして師をひとりの女性としても捉えている。
アイオリアの拳を受けて負傷したシャイナを徹夜で看病するなど、かつての残忍キャラとは思えない献身ぶりも見せているのだ。
だが当のシャイナの想い人はかつてカシオスを破った星矢であるため、カシオスとしては叶わぬ片思いの形になる。
自分の耳を落とした星矢に対しては未だ怨みを持っているカシオスだが、もしもその星矢が戦いで死ぬような事があればシャイナが悲しむのもわかっている。
そんな複雑な思いを抱えながら、カシオスは聖域十二宮編で久方ぶりの再登場を果たした。
幻朧魔皇拳に支配されたアイオリアを目覚めさせるため、カシオスは旧敵星矢の前で自ら命を絶ったのだ。
「オレにとっての女神とはあの人のことなのだ…」
死の間際に口にしたこの一言で、カシオスの個性はただの残忍ファイターから師を一人の女性として想う弟子へと変貌を遂げた。
かつての対戦相手であった星矢もそのカシオスの最期に涙を添える。
「聖闘士星矢」に限らず車田漫画全般は、その作品の中で「男としての信念や生き方」が描かれる事が多い。
カシオスは登場初期こそ主人公に敗れるだけのかませ巨漢にすぎなかったが、その最期は紛れもなく一人の男としての側面が強調される形となった。
初登場時と再登場時で個性に変化を伴うキャラは作中に何人かいるが、カシオスはその振り幅が最も大きいと言えるかもしれない。