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ナターシャ(マーマ)

金髪ロングヘアーのロシア人女性で氷河の母。

当時のグラード財団総帥・城戸光政との間に氷河をもうける。

​光政とは純愛関係だったのか?

多くの愛人との間に100人近い子を持った光政だがその多くは日本人だったらしく、ロシア人のナターシャとどのような経緯で出会い、そして親密な関係になったのかまでは一切不明である。

 

超有名財団のトップである光政はギリシャはじめ多くの国にも足を運んでいたらしいので、その過程でナターシャと出会ったのだろう。

 

もっとも入籍などはしていないだろうし、もちろんの事同居生活なども皆無であろう。

幼年の氷河は父の顔など知らず、母ナターシャと共にロシアで暮らしていたようだ。


 

超セレブの光政が異国の地に暮らす愛人ナターシャに経済援助を行っていたのかは分からない。

 

だがナターシャは光政のことを「正義を愛する立派な人」と述べているシーンもあるので、ふたりの関係は大金が絡んだ男女のそれではなく、好いた惚れたの精神的な結びつきの要素が濃かったのかもしれない。

 

もっとも、主要キャラである氷河の母が金に目がくらんで尻を振るような女だと格好がつかないので、そのような高尚な女性に仕立てる必要があったのだろう。

​日本へ向かう途中の海難事故

そのナターシャは光政に会うため子の氷河と共に日本行きの船に乗り込むが、航行中の遭難事故に見舞われてしまう。

そして船は沈没するが、この事故の犠牲者はナターシャ1人だったようだ。

 

氷河や他の乗客たちが小型ボートで非難する中、ナターシャだけが沈みゆく船に取り残されたままだった。

 

甲板上のナターシャはこの事態に直面しながらも少しも取り乱した様子も見せず、我が子氷河に別れの微笑みを投げかけてひとり静かに踵を返し、船室へとその姿を消した。


 

おそらくこの時点ですでに自分の死を受け入れていたのだろうが、凄まじく優雅にしてクールである。

 

この場面だけを抜粋すれば、ある意味では氷河やカミュ以上にクールと言える。



 

その光景をまだ幼かった氷河は避難ボートの上から目にしていた。

眼前で最愛の母が氷海に消えゆく様を目の当たりにしなければならなかった氷河の気持ちを考えると、何とも胸が締め付けられる。


 

だが別の見方をすれば、この経験があったからこそ氷河は聖闘士になるためのモチベーションを保ち続けていられたとも言える。

 

いつの日か聖闘士の超人的な破壊力を身につけ、分厚い氷の下に沈んだ船に眠る母に会いに行くという動機があったればこそ、氷河は強くなれたのだ。

 

それは甘さであり私的な事だと師カミュや友アイザックにも諫められたが、やはり氷河にとって母ナターシャは特別かつ神聖な存在なのだろう。

 

もっともそのせいで、友にして修行仲間でもあったアイザックを失ってしまう原因にもなってしまったのだが・・・。


 

すでに故人となった母に思いを寄せ続ける息子という図は、母思いの優しい子とも映れば単なる惰弱なマザコン気質とも見なされるだろう。

 

強さの内に甘さを抱える氷河のキャラを形成している要素のひとつは、紛れもなく母ナターシャであることは疑いようもない。

沈んだ船に眠る母のため

​氷河は毎日花を届ける

そのナターシャは、沈んだ船の客室と思しき部屋に生前と変わらぬ姿で眠っている。

 

それなりに大規模な海難事故だったにもかかわらず、これといった外傷は見当たらない。

 

ベッドに横たわった姿勢で永眠しているが、これはおそらく氷河がその様な配置にしたのだろう。

 

海の底に沈む船の中で、優雅な微笑みを称えたままベッドの上で綺麗に死ねる可能性など皆無なのは言うまでもない。


 

その母に毎日花を届けに行くのが氷河の日課である。

 

氷河が言うには「心の拠り所であり安らぎの場」らしく、母の眠る氷海の近辺には友人のヤコフすらも近づけたくない様だ。

 


 

だがその安らぎの場は師カミュの手によって断ち切られた。

 

ナターシャの遺体が眠る船はシベリアの海溝深く沈み、氷河は二度と母の姿を目にすることが叶わなくなったのだ。

 

死んだ母への未練がある以上は氷河はいつまでも惰弱なままであると、師カミュは考えたのだ。


 

聖域編天秤宮でその事実を知った氷河は、敬愛する師カミュに対して激しい怒りを示す。

 

ただひとつの心の拠り所を奪われたのだから当然だが、それも母ナターシャへの愛情の深さゆえであろう。

母には二度と会いに行かないと決めた氷河

だが、そんな氷河の心情にもいつしか変化が起こる。

冥王編序盤で「二度とマーマには会いに行かない」と誓いを立てているのだ。

 

その時点の氷河は、船の沈んだ海溝最深部まで潜っていける自信があると本人が述べているが、それにもかかわらず母には会わないという選択をした。

自分の意思で母への、という言うより過去への未練を断ったことになる。


 

NDの前聖戦の時代で、射手座のゲシュタルトが幼いころに失った愛馬ターニャを自らの半身にしている姿を見た氷河は、それを未練であると一蹴した。

 

死んだ者にこだわり続けるゲシュタルトの姿を過去の自分と重ねたのだ。

 

かつて師カミュに指摘された甘さを、今度は氷河自身が指摘する側に回ったのである。

いうなればこれも氷河の精神面の成長の証であろうか。



 

ただ、氷河の心の中には常に母ナターシャの存在がある。

 

「マーマの事を忘れるなんて片時だってありはしない」と氷河本人が述べているのがその証だ。

 

海皇編でリュムナデスのカーサが化けたのは母ではなく師カミュであったが、これはおそらく一輝のエスメラルダに対する思いと似ているかもしれない。

 

氷河の心の奥深い部分にはナターシャの影が仄かに潜んでいるのだろう。



 

ナターシャは氷河に、偉大な父光政の力になれるよう育ってほしいと願っていた。

 

おそらくナターシャは、光政が赤子のアテナやアイオロスと出会ったことによって芽生えた苦悩を知らないだろう。

 

なので、もしも船の沈没事故が起こらずに母子揃って日本に着いたとしても、光政と幸せな生活を送る事など出来そうにない。

 

何しろこの時点で光政はすでに自身の子らを生贄にする決意を固めていたのだから。


 

だが、氷河はアテナの聖闘士として幾多の戦いを勝ち抜き、今では次代の水瓶座の黄金聖闘士を継ぐ者にまで成長した。

 

ナターシャが思っていた形とは違うだろうが、息子氷河は間接的ながらも立派に光政の力になっているのだ。

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